先に過去の天皇の実情を点検して、嫡出の男子が平均して3分の1以上(35.4%)
の割合でお生まれになっていなかった事実を指摘した。
これだけで、側室不在=非嫡出の継承を否認しながら「男系男子」限定という、
前代未聞の条件下での皇位の安定継承がいかに至難であるかは明らか。
しかし、現実はより厳しい。平均値だけでは見えない実態があるからだ。
実は、嫡出の男子が“何代も続いて不在”だった例がいくつもある。例えば、20代安康天皇~23代顕宗天皇まで、22代清寧天皇の未婚を挟んで4代も、
嫡出男子の不在が続いた。
或いは、75代崇徳天皇~78代二条天皇まで嫡出男子が無く、更に次の79代六条天皇
が早く亡くなられて未婚だったようなケースもある。
その他に、110代後光明天皇~118代後桃園天皇までに(女性天皇だった117代
後桜町天皇を除いても)5代の天皇に嫡出男子が生まれていない。
こうした実態を見ると、側室不在=非嫡出否認の危うさが分かる。
当然ながら傍系の宮家でも事情は変わらない。現に、側室があってさえ多くの宮家が廃絶している。
更に今の皇室でも、畏れ多いが今後、全宮家の廃絶が予想されている
(現在のルールのままなら秋篠宮家は内廷に)。
側室不在でも宮家があれば(この前提自体、甚だ不確定的だが)「男系」継承は
大丈夫、という“お花畑”型思考は排さねばならない。【高森明勅公式サイト】
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